ロレンソはこの移籍によって、日本円で、約15億円程度の年俸をもらうことになるが、ドゥカティのバイクによって勝利した場合は、ロレンソは歴史を作ることになるだろう。
たしかに、今まで5回のタイトルを手にして、内3回は最高クラスなのだから、すでにゴールドクラスのライダーとして名を残すことになるはずだが、”レジェンド”の域に達するにはまた別の何かが必要であるのかもしれない。
ドゥカティにとって、ロレンソが来ることによって自分たちの方向性がどのようなものなのか明確になることだろう。ボルゴ・パニガーレに拠点を置く、このメーカーの一番の目的は勝利することだ。勝利からしばらく遠ざかっているが、親会社のアウディはスポンサーとしての見返りを求めるであろうし、ドゥカティ・ブランドとしても重要なことであるのはもちろん、レーシング部門のモチベーションなどにも大きく影響することだ。
2010年、バレンティーノ・ロッシがヤマハM1へ”Bye Bye Baby"と別れを告げた時、ロレンソはバレンシアでタイトルを獲得したが、彼も今年の終わりにはM1にラブレターを書くのだろうか。 |
ドゥカティはデスモセディチGPが本当に勝てるマシンなのか知りたがっている。ドヴィチオーゾとイアンノーネは何度か表彰台に到達いたが、初勝利はまだ達成していない。2015年、彼らはケーシー・ストーナーを雇って、テストライダーとブランド大使に任命したが、本当の夢は彼をレースに復帰されることだったかもしれない。
ストーナーは、今までにデスモセディチに最も適応したライダーであったが、2012年に、27歳で引退して以降、デスモセディチに対する問いに答えは見つかっていなかった。それを解決するために、2月のセパンでストーナーはエンジニアに向かって、率直に言った「このバイクは競争力があるし、チャンピオンシップに望むことができる」
ロレンソは5月4日で29歳になるが、現在が、彼の技術的な知識とレースでの成熟度の両面で見て、レーシングキャリアのピークに差し掛かっている時であるだろう。
ヤマハは最後まで、ロレンソのホームにはならなかった
「ヤマハは黄色の魂を持っている」それはヤマハにとって、ロッシの存在の方が、常に、ロレンソよりも大きいということだ。ヤマハは彼のホームになることはなかったが、それは彼の不安定で、疑い深いキャラクターによる部分もあるかもしれないが、大部分はロッシの存在感が強すぎたということだろう。このイタリア人がヤマハという会社の歴史を変えたのだ。
2010年、ロッシがヤマハからドゥカティへ移籍した時、 ロレンソはその年のタイトルを獲得した。2011年は2位で、2012年は再びチャンピオンに...しかし彼は、かつてのロッシのようにリーダーの地位を気付くことはなかった。
ロレンソが5回目のチャンピオンをバレンシアで決めた瞬間だが、この年はロッシとマルケスの一件があり、素直に喜べない部分もあったのだろうか。 |
2013年は、ロッシがヤマハへと復帰し、複数回チャンピオンを獲得したライダーが在籍する、最も強いチームが出来上がったが、両社のハーモニーなどはなかった。それはここ2レースを見ても明らかだろう。
2015年、ロレンソの立場はシーズン終盤に大きく影響された...ヤマハにタイトルを、もたらしたにもかかわらずである。ヤマハはロレンソに対してロッシのペナルティに対する裁判で、ロッシが不利になるような証言を申し出ることを許さなかった。ロレンソはただ自分の利益を守っているだけだった。タイトルを争っていたのだから、しかし、ヤマハの対応に彼は驚かされることとなった。
事実、最後のレースでは幾つかの興味深いことが起こった。バレンシアGP前日、ヤマハはMotoGPタイトル獲得を祝う、盛大なセレブレーションをキャンセルした(ヤマハのコンストラクターとしてのタイトルは確定していた)。そしてレース後の、多くのチーム関係者の顔は文字通りしめやかで、チャンピオンシップの終わり方に不満を持っているような様子であった。
ヤマハは最も誉れ高いチャンピオンシップを獲得したのだが、明らかに彼らが望んでいたライダーとではなかったようだ。ロレンソはそれを理解していたのだろう。
ロレンソのようなライダーにとって、そのような状況は我慢できなかっただろう。3月にロレンソはロッシ同様にヤマハからの高待遇なオファーをもらうが(ロッシはすぐにサインに応じた)、ロレンソはすでに興味を失っていた。なぜならかれは新しいキャリアを進む決意をしていたからだ。彼は2008年、ヤマハからMotoGPクラスデビューを果たし、チャンピオンを3回、2位を3回、4位を1回(ルーキーイヤー)という。ベストマッチなコンビであったが、それも今日で終わりを告げることとなる。
From SportRider
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