De RS125: MotoGP:あの時 2004年YZR-M1 ロッシとヤマハの出会い

2016年6月15日水曜日

MotoGP:あの時 2004年YZR-M1 ロッシとヤマハの出会い

 ホンダとヤマハのバトルは,これまでもコースの内外で行われてきた.しかし,2002年チャンピオンシップはMotoGPの時代に突入し,4ストロークエンジンは両者の関係に新しいライバルの構図をもたらした.

MotoGP元年、ホンダのV5マシンがクラスを席巻している最中,ロッシはのホンダからヤマハへの移籍を発表

新しいレギュレーションは,さらなる開発と,テクノロジーが,再び将来の市販バイクへもたらされることも意味していた.

そういう理由もあったのだろう,ヤマハはよりコンベンショナルな直列4気筒エンジンをこの新しいクラスに投入した.それとは対照的に,ホンダはエキゾチックなV5エンジンを用意していた.

"YZR M1"と名前を冠したバイクは,磐田ブランドが新しい時代において成功していくことを願っていた.

2004年 ロッシはホンダ勢の強力なライダーと熾烈な戦いを繰り広げた(左:玉田 誠)
2003年の終盤にバレンティーノ・ロッシがヤマハへ移籍することが発表され,彼の移籍によって,多くの期待が注がれ,ヤマハのレーシング部門は革新を遂げていった.M1の技術の進歩がロッシのバイクへと注がれ,強力な武器へと変わっていった.

直列4気筒ではクランクシャフトに様々な自由度があるが,ヤマハは,ライダーが最も扱いやすく,パワーを使うことの出来るエンジンを模索していた.

ロッシのヤマハへの加入が,磐田のバイクメーカーに競争力をもたらしていった。

シリンダーあたりのバルブ数いついてもそうだ.ヤマハは当初5バルブを採用していたが,4バルブのほうが良いのかどうか,検討を重ね,遂に4バルブを選択した.そして,電子式のキャブレターも2003年のシーズン中に外されることになった.


2004年版M1はトラクションを稼ぐため,バイクがより低重心化された.すべてのMotoGPバイクは常にトラクションを求めていた.

これらの結果はバイクに競争力をもたらして行った,そしてロッシが移籍してはじめてのレース,南アフリカ・グランプリ でロッシはポール・ポジションからの優勝を達成した.そして,ヤマハとロッシは初めての挑戦の年に,タイトルを獲得することになる.ここから,このイタリア人と日本のブランドとの今に続く関係が,数々の素晴らしいレースによって築かれていった.

ヤマハに移籍したロッシは愚か者なのか,ライダーが違いを出すのか.その答えが南アフリカで目の当たりに.

From Motogp.com

その後,ロッシは当時低迷していたドゥカティへの移籍を実現し,イタリア人の,イタリアのマシンによるチャンピオンシップの獲得が期待されたが,再度ヤマハに復帰するまで,ドゥカティで不遇のシーズンを過ごすことになる.

来年はロレンソのドゥカティ移籍が決定していますが,こちらの挑戦はどうなるのでしょうか.ロレンソは違いを見せることが出来るのでしょうか.

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